国道16号は関東平野外縁を巡る、海路も含めた環状線だ。その内側に『首都圏』を孕み、高度経済成長と共に発展を遂げた300キロ弱の道を、いつか歩いてみたいと思っていた。本当は2024年のGWを充てるつもりだったが能登半島地震の影響でずれ込み。11月初旬、三連休に有休1日分を併せて作った4日間でこの道に挑むことになった。
国道16号は首都圏から見れば郊外にあたるかもしれない。それでも10キロ刻みで快活もエニタイムもあるこの道は十分な都会で、むしろ気にしていたのは、ずっと田舎の街並みでよく見るような街風景、ファストフードとカラオケ、ラーメン店が立ち並ぶ景色に飽きてしまわないかということだった。全線通して走ってみて、この印象自体に大きな間違いは無かった(特にラーメン店、山岡家はいっぱいあった)。けれども。あくまでそれは16号の表層だけを見たときの話。目を凝らして(または、ぼんやり広く)見渡した時、其処にはやっぱりその地独特の味があったように感じた。
前夜~浦賀~走水~横須賀~横浜~二股川
定時で会社を上がり、電車バスを乗り継いで空港に向かう。30分遅れで羽田に到着。やたら混んでいる京急線で川崎に入り、予約していたカプセルホテルで休憩する。大浴場が凝った作りで魅力的ではあったものの、翌日のことを考えるとゆっくりはしていられなかった。朝4時起床。朝風呂をさっと済ませて浦賀に向かった。この日は温帯低気圧が西から迫って来ていて全国的な雨模様。関東は夕方までは1mm程度の予報になっていて、雨具を着込んで旅を始めた。







国道16号の起点は「走水」の交差点で、浦賀駅から交差点までちょうど5キロ。起点を表す標識が確認できた。『水』が地名に付いているのと何か関係はあるのだろうか、周りに高い山があるわけでもないのに走水には湧水が多く、此処を取水地として横須賀水道発祥の地ともされる。広がる公園の駐車場には給水施設があり、ここでたっぷり補給をさせてもらった。この日は気温が低かったのもあるだろう、結局ここで得た水は翌日まで持っていくことになった。







しばらく進むと突然道が広がり、2車線区間に入る。広い歩道は『うみかぜの路1万メートルプロムナード』と言うそうで、真ん中に大きな石が敷き詰められた謎の空間がある道。何かのイベントが開かれるようで、ちょうどスタッフが準備を進めているところだった。海沿いの道は心地よく、ちょうど雨もほとんど止みかけていたのでレインパンツはここで脱いだ。今回はGoreの2.5層軽量パンツ(カリマー)を初導入。生地が薄い分足は動かしやすい一方で、あまりに軽くて耐久性を心配してしまう。来年出走予定のFuji100に向けた装備。それまで持ってくれれば別にいい。実際低山に活動している分には、または高山でも日帰り前提なら、レインパンツを履く機会はほとんど無い気がする。
横須賀市役所の前を通って大きな砲台のモニュメントがある公園を過ぎ、Timesのパーキングに迷い込んでは引き返し。線路を渡って横浜に向かう。引き続き片側2車線の道は続いているものの、対向車線は少し離れた位置にあるのだろう。ぱっと見片側1車線の住宅街のように道路の両側に住宅が立ち並んでいるにも関わらず、実際は2車線の一方通行という光景が結構珍しく感じた。さらに言えばこの区間はトンネルも多い。ちょっと小高いだけの丘の下を通しているから、高さを確保できないのだろう。片側ごと、2つの低いトンネルを何度も繰り返す。








横浜に近づくにつれて道が片側3車線に広がる。この光景は大都市ならでは。16号はこのあたりから何度か曲がり、気を抜くと道を間違えそうになる。xxキロ地点で国道1号と合流。結局みなとみらいのような華やかな街を歩くことはないようだ。ちゃんと確認してはいないけど、国道16号の正式な起点は横浜の高島町に置かれているそうだ。現在の陸路区間だけで見れば走水~富津なのだが、環状線の構築を予定していた当時の計画に沿っているのだろう。だからか、走水から横浜に至るまでの区間、道路上の距離標(キロポスト)には「高島までxxキロ」という記載があった。国1ならば東海道の旅できっと歩いたことのあるだろう道ではあるが、残念ながらこの区間の記憶は全くない。3車線区間はロードサイドにお店が少ないので無機質に感じるのだろう。
少し進むとジャンクションがあり、ここで国1と別れて八王子への道になる。道幅も落ち着いた感じになり、チェーン店が並び始める。朝にパンを食べて以来、飴を舐めて空腹を紛らわせていたけどここで限界。すき屋に入って牛丼を頼む。時刻は13時半。荒天で新幹線のダイヤが乱れているようで、いつものラジオにいつものパーソナリティー(鬼ちゃん)が到着できていないようだ。そんなイレギュラー感も面白いっちゃ面白い。前日の予報より少し早く大雨が来るようで、15時過ぎから降雨量が1→4mmに増える模様。この中走るは辛いので、早々に初日の行動を終えることにした。少しコースから外れるものの、すき屋から2キロ程度の二俣川に快活を見つけた。ここを今日のキャンプ地とする。
二俣川駅前のドンキで晩御飯を買い込んでから快活に入ったが15時過ぎ。初日に踏破できたのは50キロ少々と、いつもの旅行に比べるとあんまり進んでいない感はある。足もそんなに疲れてはいないが、この天候ばかりは仕方がない。小雨とは言え濡れながら走ったため、両足小指と母指球のあたりにマメが出来ている。今回はProtect J1をほとんど付けていないこと、いつもと違うソックスをを試し履きしたせいだろうか。J1は確かに便利なのだけど、あまり塗るとソックスの中で足が滑る。この感じもまたあまり好きではないのだが。さすがに時間が早くて寝付けず、1時間ごとに目が覚めてしまう。その度にお天気アプリで雲の様子を確認し、出発時刻を考える。280キロを3日で行くには1日90キロ走破はマスト条件。2日目に40キロ分を取り返すには、夜間行動が必須になる。結局、雨雲が過ぎた22時から旅を再開することにした。










二俣川~八王子~川越~大宮~春日部
快活向かいの松屋で朝食(夜食?)を食べて、2日目(日は跨いでないのだけど)の旅を始める。来た道を戻るのは面白くないので、別の道で16号に復帰することにした。RajikoでJUNKを聞きながら、今川公園を横切る。ここから16号はほんのすぐではあるのだが、その間にかなりの傾斜が待ち構えていて、道路にはお馴染みの滑り止め「〇」マークが。都会にもこんな道があるんだと思う反面、都会だからこそこんな場所にも住居を建てちゃうんだ。上り下りを越えて16号に出ると、真正面にエニタイム。ちょうどいいのでここで軽く身支度を整える。シャワーを浴びて歯を磨き、夜行に備えて目を覚まさせる。




相模原から橋本の区間はこれぞ関東の郊外という感じ。ショッピングモールやマンション、倉庫や配送業者の建物が並び、地方のそれと違うのはその規模感だ。田舎のホームセンターをさらに広くした上、2階、3階もあるモール化された建屋は圧巻で、周囲のマンションには一体何世帯が入っているのでしょう、といった感じのものがゴロゴロ。どれも新しくて綺麗な一方で、広い空間が直線的な建造物で占められているからか下町のような猥雑さはなく、澄んだ夜空も相まって無機質な雰囲気。深夜とはいえ人通りもちらほらあって、交代勤務帰りなのだろうかという人、犬の散歩をする人。歩道には十分明かりが入っていて、ヘッデンを使う必要は無かった。横浜町田のあたりのインターでタヌキを見かける。都会でたくましく生きろ。










バイパス区間をかわして少し細め(片側1車線)の道に入ると東京都。御殿峠を過ぎた辺りで絹の道博物館の看板を見つける。この周辺の鑓水という集落から絹商人が多く輩出されたのだという。興味はちょっとあるけれど、深夜なのでスルー。八王子に着いたのは夜明け前の4時頃。道路沿いにエニタイムを発見し、これ幸いとシャワーを借りる。誰も居ないジムでちょっとだけストレッチをする。甲州街道(国道20号)との共用区間はさすが八王子の中心だけあって広々としている。『桑都 八王子』のステッカーからは、この道が日本のシルクロードを言われた時代が偲ばれる。オールで飲んでいた若者だろうか、街には元気のいい声が響いていた。












ここから先は眠気との闘いで、空腹感も高まってていた。ぼおっとしながら歩いていると、ふと道路標識がおにぎり(国道)からヘキサ(県道)に変わっているのに気付く。共用区間? それなら優先表示はおにぎりでは? Google Mapを見ると直前の「左入橋」交差点で16号は右折していた。これはほんとによく気付けたと思う。一気に目が覚めたついでに、ファミマで栄養補給。冷やし焼き芋を見つけて購入。弱った胃袋にこれが上手いのなんの。日の出のタイミングとも相まって、ちょっと気分が良くなった。
拝島駅の高架を過ぎると右手に横田米軍基地が広がる。周辺はアメリカナイズされたお店が並び、ちょっとおしゃれな雰囲気だ。その名前はもちろん知ってはいたけれど、「横田」は地名だと思っていたし、「横」繋がりで「横須賀」とごっちゃになっていたかも。基地のある福生市(FUSSA)の地名にUSAがあるように、偶然か必然か、不思議な繋がりがあるように感じた。政治的に色々あるのはあるだろうけど、その地に実際生きる人は逞しく、その環境に自身をフィットさせているんだろう。横須賀はほとんど素通りだった分、古き良きアメリカの雰囲気をここに感じた気がする。基地沿いを走っていると一瞬の羽村市を経て瑞穂町に入る。距離表示がいつの間にか「高島から」ではなく「横浜から」に変わっている。分かりづらいもんね、県外民には。











途中狭山神社前の交差点でもう狭山市(埼玉県)に入ったのかと思ったら、ここはまだ東京都のようだ。紛らわしいと思っているうちに入間市に入っていて、狭山じゃないんかいと一人突っ込みしながらいつの間にかの埼玉入りを果たす。ここで松のや併設の松屋を発見。川崎でも食べた角煮カツを食べる。これはタレが美味いんだな。満腹感を抱えてしばらく歩く。ところどころに手作り感満載の駐車場の立て看板があり、ネットで調べるとちょうどこの日は航空祭のようだ。軒先を貸して小遣い稼ぎをしているのだろう。やはりみんな逞しく生きている。9時からイベントが始まるようだが、そんなの待ってはいられない。ていうか航空祭は小松の爆音で辟易しているんだ。
航空祭行きのバスと何度もすれ違いながら、気づけば喉がかなり乾いている。前日の雨天から打って変わってこの日は朝から日射しが強い。これまで聞いていたラジオを音楽に替え、テンションを上げて走るうちに狭山を過ぎ、川越に入る。小江戸と呼ばれる街並みは残念ながら16号から離れているのでスルーし、富士見の地名に胸ときめかせる(結局見えなかった)。そういえば、しばらく距離標を見ていない。横田基地あたりで見たのが最後だったから、もしかして埼玉県内には無いのかもしれない。
川越を過ぎると国道16号はその様相を少し変え、国道8号線を彷彿とさせるような周りに田んぼしかないところを進むようになる。気を紛らわせる要素が無い分、暑さによるダメージの蓄積はかなり大きく、荒川を越えてさいたま市に入るころにはちょっと走れないまでに疲弊していた。よくよく考えればこの時点で行動時間は12時間近く。前日夜から歩きっぱなしだ。バイパス沿いの側道を歩き、見つけたローソンでおにぎりを2つ買う。食べてすぐ歩き始めたものの眠気や足の疲れがひどくて、見つけた公園で少しだけ横になった。当初2日目は千葉まで行く予定(!)で計画していたが、この状態ではたどり着けそうにない。手前の柏もちょっと無理。大宮の快活で小休憩してまた夜行になるかもしれない。フラフラになりながら次の快活を目指した。
大宮。実際はその北側を歩く形になり、街の中心には寄っていない。大きなバイパス区間を越え、県道3号を経て16号に復帰する。今思えばこの時越えたのが中山道や、新潟に続く国道17号だったのだろう。環状線である16号を辿るということは、日本橋から各方面に伸びるすべての大路線を交差するということ。いつか、またこの地に戻ってこれますように。ちょうどNack5でカメパが始まったこともあり若干気分は回復し、だらだら歩く形にはなったものの春日部まで進むことが出来た。「からやま」で定食を食べてお腹を満たし、春日部ユリノキ通りの快活で2回目の休息を取ることにした。行動時間は16時間を超えていた。






春日部~野田~柏
洗濯をしている間に少し眠り、乾燥機にかけて少し眠る。綺麗になった服に着替えて3度目の仮眠をとったところでだいぶ気分がすっきりしてきた。ここまでイーブンペースで来ているものの、当初5時間休憩予定のところ初日が8時間休憩になり、3時間の遅れがそのまま残っている。距離が足りていない分、走れるうちに走ってしまおう。20時、再び夜行を始めることにした。目標は30キロ先の柏市だ。快活を出て16号に復帰するとすぐに松のや松屋併設店。そういえば埼玉県に入った途端、松屋系列の発見率がぐんと上がった気がする。大好きなので嬉しい限りだ。揚げ物(松のや)は何度か頂いたので、ここからは松屋で塩豚カルビ丼。さっと食べられてネギだく美味い。
日射しの影響は大きかったのか、仮眠が奏功したか夜は軽快。春日部を過ぎるとロードサイド的な雰囲気がなくなり、周りから明かりが無くなっていく。「庄和」交差点では国道4号を横切る。東北へと続く道。ここを歩くことはあるのだろうか。みちのくトレイルとどっちをやろうか。パイパス下の大きな交差点で一時歩道を見失い、ようやく見つけた細い道に入り込む。野良のネコさん、2回遭遇。









江戸川を渡ると千葉県に入る。間に仮眠は挟んでいるものの、神奈川~東京、東京~埼玉、埼玉~千葉の県境越えは全て日曜日のうちにやったことになる。ふと気づくとキロポストが復活する。やっぱり埼玉区間だけが無いのかも。ここから野田までは加賀~丸岡までの8号線レベル(分かる人極小)の田舎感で、怪しい宗教団体の広い敷地を横目に進む。日があるうちは景色が無いとつまらないけど、暮れてしまえば関係ない。rajikoの声に専念し、イーブンペースで走れるようになる。よく見かけるのはラーメン屋。山岡家や南京亭など24時間営業店の明かり。コンビニはそれほど多くない。徒歩通行者が少ないからだろう、自動車のスピード感覚で店の間隔が空いている。TBSのコネクトを聴いているうちに徐々に町の明かりは大きくなっていき、走り始めて5時間程度で柏市に入った。気付けたヘッデン(SILVA)の明かりがだいぶ小さくなっている。バッテリーの持ちに課題有。深夜1時。ここから千葉までの区間も結構な田舎と考えれば、今のうちに休憩しておいたほうがいい。柏店にチェックインする。左足首の痛み、両ふくらはぎの筋肉痛が始まっている。










柏~千葉~木更津
シャワーを浴びて着替えてフラットシートに横になった途端意識が無くなった。気付くと4時間近く経過している。しまった、寝坊だ。一瞬そう思ったものの、よく眠れるのは回復した証拠とポジティブに切り替える。とはいえゆっくりはしていられない。さっとトイレに行ってすぐに旅を再開する。半そでで店を出たところ、外はかなり寒くてウインドブレーカーを着込む。少し走るとエニタイム発見。ここで朝シャワ―と身支度を整え、改めての再スタートを切る。そういえば春日部から何も食べていない。コンビニで見つけたのり弁風おにぎりがとても美味かった。道程は思った通りの田舎道で、ここで初めて道の駅が表れる。当面の目標地として走っていたところ、島田台の地点で記念すべき「起点から150km」の距離標を見つける。起点というのは横浜(高島)だから、走水から測ると180キロほどか。富津岬のゴールまで残り100キロ程度。まだまだ気は抜けない。






道の駅「やちよ」で少し休憩をして再び走る。細かいアップダウンが多い道。歩道の草が伸び放題でちょっと進みづらい。それでも進んでいくと徐々に街並みが広がり始め、突然シティな感じの街並みに突然変わる。ここが八千代の中心部のようだ。ようやく田舎区間が終わったと胸をなでおろし、ポップな気分で進んでいると千葉市に入る。スポーツセンターのあたりで16号は左に曲がり、バイパス区間になる。はじめは側道を繋いで忠実に辿ろうと頑張ったものの、結構シビアで景色的にも面白くはなく、貝塚ICあたりで離脱し県道22号に取り付くことにした。久々の県道はちょっとホッとする雰囲気で、久々に見るスーパーマーケット(16号沿いには殆ど無い)や、地元でよく見るサイズのダイソー店舗。これぞ生活道といった感じが満載だ。トンネルを抜けると綺麗な歩道が始まり、青葉の森公園周辺は、石川でいう金沢城公園、静岡でいう駿府城公園のような格を感じた。









蘇我駅のコンコースを通り抜け、海沿いを走る国道357号線(東京湾岸道路)に出る。ここをまっすぐ下れば途中で16号と合流する。このあたりが16号の最大幅で、片側4車線というどうやって走ったらいいのか分からない規模感の道が続く。途中のローソンでカロリー補給。ふと見ると国道シール取扱い店だとある。どうせどこでも買えるだろうと思っていたが、実はかなりレアな店舗だということを後で知る。16号のやつ、買っておけばよかったかも。







国道16号はいつの間にか2車線に戻っていて、ひたすら直線のエンドレスな道が始まる。歩いても歩いても変わらない景色に心がやられる。袖ヶ浦に入った頃には身体ともにボロボロになっていた。特にひどいのは左足首の痛みで、そういえば以前中国道を歩いた時も、最後に苦しめた部位がここだったかもしれない。ここしばらくの区間は距離標だけを楽しみに進んでいた。暑さと痛みで疲れ果て、ようやく街並みが戻ってくる。記念すべき「横浜から200km」は袖ヶ浦の小高い丘を登り切ったところに在った。夕暮れの少し前、綺麗な空の下。ここまで歩いてきたことを実感した。ちょうど良い具合に松屋の看板を見つけた。ここで最後の栄養補給と、またまた大好き塩豚丼を食す。満足也。8キロほど歩いて、4度目の入店となる快活は木更津店。すぐ横に富津岬までの青看板が出ているのが憎らしい(サイコーじゃないか)。明日、岬で朝日を見れたらいいなと思った。




木更津~富津岬(~久里浜)
木更津の快活には8時間ほど滞在し、朝3時。軽くシャワーを浴びて出発したところ、スマホを忘れて一旦戻る。bluetoothが切れたのに気付けたのが不幸中の幸いだ。昨日から左足首の痛みがズキズキしていたが、予め痛み止めを投入していたので快調。出発してすぐにすき屋を見つけ、牛丼並盛を補給。これでゴールまでの16キロ、ハンガーノックは気にしなくていいだろう。rajikoには新しいJUNKの録音が入っていて、お耳のお供もばっちりだ。真っ暗な道を真っすぐ走り、ふと気づくと関係者以外立ち入り禁止の看板が正面に出てくる。間違って港湾道路に迷い込んでいたようで、16号は途中のイオン手前で左に曲がっていた。夜に全く迷わないというのは基本的には難しくて、いかに異変に気付き早期リカバリーを図れるかが夜行のキモだ。その点でいえば、今回はいろんなところで勘が冴えていた。



周囲の建物はほとんど無くなり、真っ暗な道をひたすら進んだ。ヘッデンのバッテリーがいよいよ怪しくて、それでも残りの距離を考えれば最悪スマホのライトでも押し切れそうだ。ここでも不思議な直感が働き、いつの間にか16号線が富津の集落に向かって湾岸道路から離れているのに気付く。全く兆候が無い中、ふとMapで調べようと思ったセンスが素晴らしい。分岐は若干過ぎていたものの、小糸川に沿って移動し、16号に合流した。ここからは本当に16号の末期と言える区間で、片道1車線の普通の道。歩道も中途半端にあったりなかったり程度のものだが、そもそも車通りが多いわけでも無いので特に問題は無い。走水から横須賀、横浜、八王子。川越、大宮、柏に千葉、木更津。ここまで歩いてきたからこそ、その下流がこんなに小さな道だということが不思議でならない。此処は燃え尽きる直前の線香花火のような寂しさがある。
ここから富津岬までは6キロ。普通のひなびた港町の中を走る。距離標を探し、横浜からの距離をカウントダウンしながら走った。217。218。219。もうすぐこの道が終わるのを知っている。だからこそ、220キロまで続いてほしいと祈った。もうすぐ465号線との交差点というところにそれはあった。この距離標を楽しみにここまで走ってきた。そして終点までの距離を考えれば、きっとこれが最後になるのだろう。記念の写真は念入りに撮った。







交差点を渡ってほんの少しいったところにある「富津」交差点。ここが国道16号の終点だ。何か標札があるわけではなく、手前の青看板が県道への接続を告げているだけだ。それはちょっと拍子抜けな感じがするし、呆気ないとも言える。260キロに及ぶ長大さの重みは、私の体の痛みが十分に表している。それでいいじゃあないか。さぁ、あと少し。私の旅も終わらせよう。


富津交差点を直進すると、これまで国道16号だった道は県道255号線に変わる。この道を更に進むと、広い富津公園の敷地内に入る。富津岬はここからさらに2キロ奥に入ったところにある。その先端には「明治百年記念展望塔」と呼ばれる不思議な形の展望台がある。堤防から糸を垂れる釣り人を横目に、頂上に向かって一歩ずつ階段を上る。意外にも腿上げはそれほどきつくはない。トレイルの練習と筋トレの成果だろう。高所がちょっと怖いのを除けば特に問題なく進み、何度も繰り返し現れる踊り場にやきもきさせられながらも、6時30分。展望塔の最上部に立った。








風が気持ちいい。若干曇りがかってはいるものの、対岸の浦賀や横須賀が見える。富士山は見えない。展望塔の高さは21メートルらしい。ここまで上がっても見えるのは横浜までで、その先の八王子はもちろん埼玉区間は全く見えない。眼前には広大な東京湾の景色が広がっているというのに、私はさらに広い関東平野を走り切った充実感で満たされていた。思えば能登の地震でGWでの決行を伸ばし、ちょうど半年を経てのこのチャレンジだった。四国の旅を終えて、国道16号の旅を終えて。これでようやく自分にとっての宿題を終えられたような気がした。




展望台の上には20分ほど居ただろうか。ちょっと寒くなってきたし、人も増えてきた。よし、帰ろう。何気に最寄駅まで5キロもあり、これはこれでなかなかの旅。先ほど通った富津交差点を右折して、大貫駅に向かう。上手い具合に到着した電車に飛び乗り、向かったのは浜金谷駅。せっかくここまで来たのだから海道区間も制覇してやろう。金谷港から東京湾フェリーで三浦半島の久里浜に向かう。平日の火曜日にも関わらずそれなりの乗客はいて、とは言え船内はやたら広くてスカスカ。せっかくなので最前列で40分間の船旅を楽しんだ。帰りの時間を考えると観光をする余裕はなく、買い物は御徒町のアートスポーツで済ます。予約したマッサージではスポーツ好きな方に当たり、地獄のようなマッサージで筋膜リリースした。結果的にはとても良く、疲れが一気に取れてしまった。混んでる新幹線で家に帰り、銭湯でリラックス。4日ぶりのベッドで爆睡。












改めてこの旅を総括するとすれば、国道16号は決して味気の郊外区間が続くだけの味気の無い道ではない。そう思ってしまうのはきっと車で移動しているからで、もっとゆっくり歩いてみれば、そこには十分濃い色が確かにある。環状線化が始まるのは1963年頃からで、東海道や山陽道に比べれば新しい道ではある。けれどもその土台には明治以降の日本を支えた絹産業のシルクロードがあり、何より東京を中心とした首都圏のエネルギーを一身に受けて急速に成長したその姿は、長い歴史が培うそれとはまた異質な形で私にインスピレーションを与えてくれた。とても良い旅になったと思う。
