そもそも熊は和獣の王。猛くして義を知る。
草木の皮虫の類を食として
同類の獣を喰らわず、田畑を荒らさず、
稀に荒らすは食の尽きたる時也。
北越雪譜–鈴木牧之
狸や狐が民話に頻繁に現れるのに対して、どうして熊を語る話は少ないのだろうと思うことはあった。その答えがここに書かれた点にあるのだと思う。その一方、アイヌ民話にはでキムンカムイ(山の神)としてよく登場するのは何故だろう。
本州は弥生由来の農耕文化。ブラキストン線(津軽海峡)を跨いだ北海道のアイヌ文化(続縄文文化)は狩猟・採集文化。狩猟採集では衝突が起こりうる一方で、農耕になると人とクマとの住み分けができるようになった。そう考えるのが適切なのかもしれない。
ところで私は頻繁に山に入るものの、未だ熊というものを目にしたことは無い。乗鞍岳に向かうバスに乗っている時に見たのが唯一の経験だ。爪の研ぎ跡やまだ変色の無い糞の痕跡からニアミスはしているのだとは思うが、それでも遭遇したことが無いということは、向こうが私を避けているからに違いない。思えば私はよく犬に吠えられる。なんなら室内犬まで外にいる私を吠える。カーテンで姿が見えないにも関わらず。。。熊は本質的に人を怖いと思っているらしい。その恐怖がある意味これからも続いてほしい。私たちは共に相まみえることはないかもしれないが、少なくとも私は彼らに彼らの幸せを得てほしいと思っている。
その危うきを踏んで熊を捕うは僅かの黄金の為也。禁欲の人を過つ事色欲よりも甚し。
されば黄金は道を以て得べし。不道をもって得べからず。