富山〜市振(64km)

 一週間振りに富山駅にやってきた。先週美川から富山までの旅を終えたが、本来のゴールは上越妙高。旅の続きを再開するのだ。世界一美しいと言われるスタバをチラ見してから富山湾を目指す。この旅お馴染みの諏訪神社は神通川河口の岩瀬にもあった。秋祭りが開催されるようで、朝早くから出店の準備が進められていた。海沿いに富山湾サイクリングロードなる道が整備されているようで、しばらく利用させてもらう。能登でいえば羽咋から高浜に繋がる自転車道によく似た雰囲気で、ここももともとは鉄道の線路跡だったりして、なんて思う。

 信越で見た火除けの「水」を屋根に書く風習に興味を持ち始めたが、石川県でそれを見たことが全く無い。上越に近づけば何か変わってくるのかもしれないと期待していたが、常願寺川を越え滑川市に入るあたりから家の破風に模様のある家がちらほら出始める。もしやとおもったが、この模様は屋根の湿気を抜く口を隠すもので、火除けの「水」とは由来を別にするものらしい。ちなみにこれも県道1号(古北陸街道)沿いにはあるものの、海沿いの漁師町ではほとんど見られない。

 早月川が近づいて来ると観覧車が見える。TJARのスタート地点であるミラージュランドだ。折角だから外縁をぐるっと回る。ここから壮大な旅が始まるんだと思うと思わずにやけてしまう。しんきろうロードなる綺麗な海沿いの道を進むと、米騒動発祥の地である銀行倉庫が保存されていた。

大正七年(1918年)、米価が急に上がり、平年で1.7倍になった。その理由は、都市の人口増加により米の消費量が増大しかことやシベリア出兵をきっかけとした米の買い付け、一部商人による米の買い占めだった。

歴史は繰り返す。100年後にまた様相を見せているのは感慨深い。

 すぐそばに諏訪神社。というかこの辺りは諏訪町というらしい。灯篭を掲げる大きな祭りがあるようだ。魚津港を境に県道1号は2号になって、だからといって特に大きな変化はない。魚津と言えば湧き水ということで、そこら中の塩ビ管から水が噴き出している。水は透明でキレイに見えるが、果たして飲んでいいものかが分からない。だいぶ飲み物が少なくなってきたため安い自販機を見つけて補充する。ここで数年ぶりに痛み止めを飲んでみる。1週間前から始めた病院での治療(プロロテラピー)の効果は出ているものの、流石に完治はまだ先だ。6月のKagaSpaで痛めたもので、もっと早く始めていれば良かったと思う。

 黒部に入ると生地(いくじ)。『名水街道』なる脇道を見つける。面白そうなので入ってみると、道中幾つもの湧き水スポットがある。この地域では清水(しょうず)と呼ぶそうだが、そういや石川県も同じ読み方だった気がする。前名寺の清水は飲料水というより美しい庭園を楽しむ感じで(飲んだけど)、個人的な好みは水量が豊富な弘法の水。殿様清水はちょろちょろ気味で、絹の清水なんて素敵な名前のやつもある。街道沿いのスポットで取り敢えず全部カップ1杯飲んでお腹はタプタプ。トイレに寄った生地駅前にもあったのでダメ押し補給。駅から少しいったところの三差路の角に塩ビの湧水パイプが出ている。これには見覚えがあって、以前コロナ渦の自転車旅(長野→美川)使った時に通った道だと気付く。今年のGWに上越妙高→長野まで走っていて、この旅が成功すると当時の逆、美川→長野までのフットスタンプが繋がることになる。その先にある親水公園も懐かしい。高瀬湧水でダメ押し2回目。これでこの日は水に困ることはないだろう。

 50キロを走った時点でも普通にキロ6分30〜40分くらいですこぶる調子がいい。ADIZERO SL WIDEが合っている(ADIZERO JAPANを使った美川→富山はきつかった)のもあるが、普段の筋トレで足腰の基礎筋力が向上したか、疲労感があまり溜まっていない感じがする。痛み止め投入から結構時間は空いてしまったが、まだ効果は続いているようだ。

 朝日町に入ると山が一気に海に近づく。もしやと思い調べると栂海新道で歩いた稜線だった。白鳥小屋~栂海山荘間のえぐいアップダウンも下からみると緩いコルにしか見えないのが寂しい。山が近くなるということはこの日のゴールが近づいてきたということ。この日は親不知手前の市振(いちぶり)までにしようと決めていた。市振〜青海間は歩道がなく危険な区間で、日本横断のジャーニーランでもここだけは電車利用を定めている。そんな中でも、糸魚川に向かうチャリダーがちらほら見られた。彼らは突っ込むようだ。確かに土曜の夕方、車通りはそこまで多い感じはしないし、一番の脅威となるトラックも全然通らない。歩きでもワンチャン無いものだろうか。市振駅に着いても諦め切れず、歩道が切れたところでようやく諦める決心がついた。流石に10キロも危険区間が続くのは改めて考えればヤバい。再び市振駅に戻り、電車で魚津までスイッチバック。旧8号線沿いのエニタイム、快活で翌日に備えた。

青海〜上越妙高

 始発の電車で青海駅に向かう。ここは糸魚川市街地の西端に位置しており、人が歩けるスペースは十分に確保されている。姫川を過ぎたところのすき家でチーズ牛丼特盛。がっつり食べて英気を養う。このカロリーで上越まで行ってしまう算段だ。

 糸魚川駅でフォッサマグナの旅とクロスする。海岸でのヒスイ探しはめんどいので今回はパス。浦本駅を過ぎたあたりから8号に並走する久比岐自転車道歩行者道に入る。もともと鉄道が走っていた線路跡地を利用したもので、ところどころで馬蹄型の短いトンネルを通る。山側の崖が日射しを遮ってくれるおかげで非常に快適だ。国道沿いにコンビニや自販機もちらほら見えるが快適な歩行者専用道を離れるのがおっくうで、気付かないうちに走行距離が伸びていく。

 能生地区。藁ぶきの白山神社を過ぎ、海鮮の匂い漂う能生の道の駅は華麗にスルー。それでも足を止めてしまったのが筒石の漁村集落だ。海沿いの狭い平地に所狭しと三階建て(たまに四階建て)の木造家屋立ち並ぶ。歩行者道は小高い位置にあるにも関わらず、そこまで部屋が伸びている景色はなかなか面白い。家と家の間の狭い道も風情があって面白い。昔は壁を隣の家と共有していたと、後に見つけるパンフに書かれていた。

 40キロを走ってさすがに水が足りなくなり、名立の道の駅で国道に下りる。ちなみにここまで私を支えたくれた水は魚津駅前で頂いた湧水だ。富山というところは(極貧)ランナーにとても優しい。アイスコーヒー(缶)を嗜んでから歩行者道に戻ろうとすると、崩落で通行止めになっている。能登半島地震の影響らしい。しばらくは立入禁止を無視して進んでいたものの、ブルーシートがかけられた崖区間が見え始めると流石に怖くなり、自動車道をやむなく走ることになる。一応路肩は確保されているものの、これまでが快適すぎたのでちょっと困った。それでも困ったのはここぐらいで、2キロほど進むと再び歩行者道に合流し、快適な旅を再開できた。

 二日目の旅の大部分を占めた久比岐自転車道歩行者道は郷津の交差点で終わる。素晴らしい道に感謝し、国道8号で上越市街地を目指す。バイパスと名は付いているが歩行者禁止というわけではなく、ただしトンネル区間は歩行箇所が非常に狭いため、自転車でここを通るのはかなりきついだろう。市街地に入ると県道63号線を右折。ちょうど今季最後のSUNDAY LIONS(NACK5)が始まったのを聴きながらまったり走り、高田駅近くのエニタイムでシャワーを浴びて綺麗な服に着替える。当初は上越妙高駅前の温泉で体を休めるつもりだったが、眠気が来ていることもあり早くおうちに帰りたくなっていた。

 エニタイムから上越妙高駅までまだ5キロ近く残っているが、着替えを済ませた手前汗をあまりかきたくはなく、徒歩でゴールを目指す。最短距離で住宅街を突っ切り始めたところ、住居の屋根が妙高(古海)や信濃川沿いで見たようなトタン張りばかりになっていることに気付く。歩行者道の終わりらへんからその兆候は見えていたものの、ここまで明確に変化点が分かるのも面白い。完全に瓦がなくなったわけではなく、20軒に1軒程度で瓦葺きの家はある。瓦とトタンのハイブリッド形態で見かけることのほうが多い。古海との違いは「水」の字が屋根についているかどうかで、上越市街地ではそれはごく稀な例として見られるだけだった(全く無いわけではない)。この旅お馴染みの諏訪神社も見つける。

 ソフバンとの点差が広がり日曜の呪いを噛みしめながら、なんやかんやで上越妙高駅に到着。屋根観察や神社巡りなど散策の間にランニングの達成感的なものは相当薄れてしまったけれど、そういえばこれで美川から長野まで足跡(道)が繋がったことになる(市振~青海間は除く)。長野から東京日本橋までは200キロ。ここを歩けば北陸街道の踏破というわけだ。これも今年中にやれないだろうか。今度はなるべく一発で済ませたい(電車賃の都合)。それにしても、2025年の夏は土日の2連休を満喫するのが上手になった。栂海新道、信越トレイル、美川~上越妙高。その多くは北陸新幹線の恩恵を受けたもので、これまで西日本一辺倒だった遊び方に東日本の選択肢が増えたというのが大きい。フォッサマグナを走り、『奥信濃100』に参加したことで地理的な感覚が育まれ、新しい遊びを見つけられるようになってきたのだと思う。

 新幹線に乗り込めば1時間で金沢だ。窓から富山湾の向うに能登が見える。来週は能登の国ジャーニーラン150キロ。その次はBIWAKO100のボランティア。スタッフマニュアルが更新されたとDiscordに通知が入っている。楽しい週末は終わる気配を見せない。

投稿者 DiSpa.