長野~信濃追分

 長野に向う新幹線の中で時間潰しにスマホをいじっていて、この幹線に沿って足跡が続いていることを思い出した。窓から景色を見ると、ちょうど劔から朝日が顔を出していた。広がる田園風景。薄い橙色と水色の空。神通川を渡す大橋。糸魚川を過ぎるとトンネル区間で景観は途切れるが、それはそれで今年2回も通った信越トレイル(富倉峠)の下を通っているなんて考えると感慨深い。どの旅でもアクセスは概ね新幹線を使っていて、今年は北陸新幹線yearだとも思う。

 今回の旅は急遽決まったものだ。アキレス腱炎治療のリハビリで美川〜上越妙高まで走ったところ、GWの上越妙高〜長野と合わせれば北陸街道の半分を終えたことにふと気付いた。残り半分半分230キロ。今年中にできればいいなと漠然と思っていたが、そういえば内陸は寒くなるのが早い。12月の軽井沢はマイナス4度とかの世界で、これはちょっとつらい。年内に空いているのが10月18日の週しかなく、三連休翌週に再び三連休を作り、始発の電車で長野に向かっている。まあ、前半三連休はLAKE BIWAのボラに時間を注ぎ込んで走れていないので、ちょうどいい塩梅といえばそうでもある。

 さて、屋根の話をしよう。この旅は屋根を巡る旅といっても過言ではない。そもそもの発端は信越トレイル。妙高高原から野尻湖の途中にある古海、菅川集落で水除の印が屋根に記されていたことに始まる。もともとは関西で広がった文化のようで関西の友人はその意味を知っていたものの、石川県ではまず見たことはなく、富山県でも結局見かけることはなかった。上越市の市街地に入ってようやく見かけるようになったものの、数十件に一件程度で広く普及していたとは考えづらい。日本海側から広がったのでないのだとしたら、長野側から下った文化なのだろうか? 上越妙高〜長野までを踏破した時は残念ながらこの点は全く意識しておらず、長野市街地から東京側に上る中で確かめることになった。

 ちょうどGWにログを止めた駅前からスタートすると、いきなり長野五輪記念のレアなマンホールを発見。その後しばらく18号を辿る。綺麗な広い片側二車線の道路で周りにあんまり家が無い。しっかり確かめられてはいないけれど、やっぱり水マークは無いように見える。千曲市に入ったところで地下道を通る。いろんな地下道や歩行者専用トンネルを歩いてきたけれど、今まで見たことのない素敵な装飾でちょっと見入ってしまった。全面に書かれたイラストに加えて沢山の言葉が散りばめられている。その多くが日常の幸せを記したもの。輪島市朝市を訪れたことも書かれていた。不思議な縁を感じつつ、きっとこの人は能登出身の私以上に地震の衝撃を受けたのだろうとも思った。

 上田までは順調そのもの。お城前のエニタイムでシャワーを浴びたら気分も良くなり、調子にこって松のやでお昼ご飯。大盛定食におかわりまでしてしまった結果、お腹が膨れすぎて数時間の間走れなくなってしまった。ふらふらと歩きながら東御市。ここはミマキの企業城下町の様相。プリンタなんかを作っている会社のようだ。ちょうど週末にお祭りをやるらしく本社前はテントの設置で大忙しだ。そんな雰囲気を横目にふと道路沿いに瓦が積まれていた。解体した家から外したものかもしれないと思いつつふと目をやると、瓦に水の文字が書かれている! ずっと壁面に書かれたものを想像していたのだが、瓦に埋め込まれているとは思っていなかった。実際に取り付けた状態を見たいと探したところ、その周辺にあるわあるわ。公民館の屋根、そのお向かいの家にも。「水」瓦そこら中て見つかる。もしかして長野市からここまでの間にも結構あったのだろうか? 確認するのはまたいつの機会になるだろうか、なんて思っていたが隣の町に入った途端にその瓦は見られなくなった。ちょうど瓦を取り扱っていた商店が道路沿いにあったものの、そこにもやはり見つからず。文化の伝播というより、局所的な流行りのようなものなんだろうか?

 ここまで来ると宿の到着時間が見えてくる。後半だいぶスローになったものの、それでも予定より1時間ほど早く宿に着きそうだ。軽井沢から2駅離れているとは言えそれでも避暑地区画。周囲のレストランもお高めの雰囲気だったため予めコンビニで晩御飯を確保する。ちょうどローソンのまちカフェが半額祭りだったものの、昼の失敗を踏まえてちょっとだけに控えた。信濃の追分宿。ここは北陸街道と中山道の分かれ道で、ここからは中山道との共通区間になる。つまり、北陸街道踏破を完遂できれば500キロ近い中山道の三分の一を歩くことになる。草津までは残り350キロ。GWの4~5日間で挑める可能性が出てくるのだ。夢が広がる。軽井沢から長野方面に慢性的な渋滞が続く。こいつら何処から来たんだ? ナンバーは長野が多い。グンマー帝国からの出稼ぎ帰りとかだろうか? 18号から脇道(以前の本通り)に入ると古来の宿場町、というより綺麗な隠れ家的別荘地区間と言ったほうが正しい。本日のお宿はその先、旧中山道沿いにある民宿「あさぎり荘」。大きなお風呂でゆっくり休んだ。四国の旅あたりからだろう、こういう和風宿にも躊躇なく泊まれるようになった。

信濃追分~熊谷

 晩御飯が控えめだったためお腹が空いて早くに目を覚ましてしまう。Googleマップでコンビニを探すもどこも閉まっていて、流石に何かおかしいと思い調べてみると、軽井沢では深夜帯は営業出来ない条例があるようだ。このまま6時まで開店を待つのも時間が勿体ない。開店時刻に軽井沢駅前に着くよう2日目の旅を再開する。宿を出て進むのは旧中山道。深谷に繋がる道の追分もあったり、道路元標、馬頭観音像なんかを探してると時間が経つのも早い。滅茶苦茶お洒落な軽井沢中学校の横を過ぎる。

 予定通り軽井沢駅到着が6時過ぎ。ファミマで朝ご飯。カロリーを蓄え碓氷峠を下る。朝7時というのもあってそこまで車は多くなくて、むしろチャリダーが結構上ってくる。翌週開催のヒルクライムの練習だろう。結構きついはずなのにカラ元気で挨拶してくれるので心地良い。180を超えるカーブ(但しちっちゃいのも含む)を駆け抜け、眼鏡橋からは鉄道跡を使った歩道を辿る。途中カモシカが普通にいるのが流石グンマー帝国だ。碓氷峠を抜けると鉄道グレイブヤード。レオさん絶対来たことあるだろうなー。ここは「峠の釜めし」発祥の地でもあり、結構小さな本社前を通り過ぎる。国道18号に合流したところ、目の前にやたらギザギザした山塊が目に入る。これが二百名山の妙義山らしいが、何処から登るんだこれ(山頂はどれ?)。。。

 国号18号沿いは日射しを遮る箇所が少なく、ところどころで旧道に入り建物の影を使いながら先に進む。各地の宿場町らしい雰囲気はそれなりに面白いものの、それも結構見慣れてきてしまい、とにかく先に進むことを優先する。富山でも見たようなYOSAKOI祭りが行われている高崎市を過ぎた後、興味が惹かれたのは倉賀野宿の日光例幣使道の追分くらい。そうこうしているうちに神流川を越えてダサイタマー王国に久々の帰還を果たした。鴻巣まで行きたかったけど睡魔が厳しい。熊谷の快活で休息することにした。周辺に入り易いお店は無かったものの、スギ薬局があったのでカップ焼きそばを買っていった。

熊谷~日本橋

 滞在6時間のうち4時間はちゃんと寝れた。眠気が取れたため2時にスタートする。埼玉北部は全く馴染みがなくてひたすら進むだけだ。この間、バイパスと旧中山道の見極めがやたら得意になり、夜にも関わらず最短ルートが分かるようになってくる。バイパスと旧道の追分の入り方が各所だいぶ似通っているように見えるのだ。

 夜が明けて7時頃、昨年11月の国道16号の旅で通った歩道橋を過ぎる。この辺りから馴染みの地名がちらほら表れ始める。早朝ランナーも増え、寂しさも若干和らいでくる。途中見つけたエニタイムで軽くシャワー&休憩してリフレッシュした。大宮から埼玉までは意外と距離があるものの、楽しさと懐かしさが優り、ちょうど曇り空が日差しを遮ってくれたのをいいことに走り続けた。南浦和と武蔵浦和の中間点。この交差点から先は昔のランニングコースだ。ワラビー共和国が中山道の宿場町だなんて、十年前の当時は全く知らなかった。大きな道標のすぐ前をよく通っていたのに。

 慣れた道だからこそ荒川まではあっという間で、遂に江戸入りを果たす。志村のエニタイムでシャワーを浴びて、軽くストレッチした後外に出ると雨が振り始めた。ポンチョ着たけどすぐ松の屋を見つけ、昼ご飯食べているうちに小康状態になり、あとは傘を差して走る。17号の幹線をちょっと外れると仲宿の商店街。凄い賑わいのなか、折りたたみ傘を差しながらひた走る。そもそもここ自体が観光地みたいで、気づくと巣鴨をサクッと通り過ぎてしまった。日本橋まで残り6キロ。

 あとはひたすら17号を辿ろうと思っていたのに、早速文京区内で道を間違え後楽園に出てしまう。下った坂を登り返して17号に復帰すると御徒町の地名が見える。よく知った道のはずだが自分の向いている方向がイマイチ分からず、結局ナビに頼って先にすすむ。日本橋まで2キロの標識を秋葉原で見かけるとそこからは速かった。神田駅前のエニタイムで身なりを整え、日本橋に向かった。道路元標は東海道の旅以来だから、4年ぶりくらいか。当時は朝早かったのとコロナ真っ最中でほとんど人もいなかったけど、今回はひっきりなしにに観光客が来てゆっくり写真を撮ってる余裕がない。そもそも北陸街道踏破の感動よりようやく終わった安堵感のほうが大きくて、写真もそこそこに帰りのスケジュールを考え始める。私の旅はこれでいいんだ。思い出は足に刻まれている。

 16号の旅でもお世話になった御徒町のマッサージ師の拷問で気合を入れ直して帰路につく。かがやきはたった1時間10分で私の3日間の旅路を巻き戻した。勢いそのまま3時間で美川に着いた。とっても幸せな3日間。今度は軽井沢スタートで中山道〜草津の旅なんてやってみたい。例幣使道なるものも途中で見つけたし、日光街道、甲州街道もある。可能性が広がっていく。

投稿者 DiSpa.