■期間:2025年12月28日~2026年1月3日
■距離:499km(鹿児島~隼人~宮崎~延岡~津久見~別府~築上~小倉~門司港)

■ 12月28日(鹿児島~隼人)

美川から鹿児島まで6時間強の電車旅のお供に選んだのは、3年ほど前に買った『鉄から読む日本の歴史』という文庫本。ただ持ち運びに便利なサイズというだけで選んだものの、その最終章に書かれていた八幡製鉄所は北九州の話。新幹線『つばめ』の窓からちょうどその遺構を見ることができた。豊富な石炭燃料と海運物流の利便性は当時は非常に魅力的だったのだろう。

2025年12月28日12時55分、鹿児島中央駅をスタートしてまず向かったのは、昨年のゴール地点である護国神社前。九州左半分の国道3号と薩摩半島を巡る国道225号、そして今回の旅で辿る国道10号が始まる交差点だ。昨年とは打って変わってあまり人がいなくて、国道モニュメントの写真も落ち着いて撮ることができた。しばらくは見どころが多くて写真ばっかり撮ってしまい、あまり前に進めない。西郷どんの銅像を過ぎたあたりから上着を抜いて半袖モード。仙厳園を過ぎると歩道がなくなりかなり走りづらい。渋滞気味で車のスピードが抑えられているのに助けられた。途中西郷どん蘇生の地なる小屋を見つけた。ニュースで屋根の藁葺を直したと最近報道されていた。

さらに数キロ進み、片道2車線になると歩道がつくようになった。ようやく桜島の景色を楽しめる。海沿いを快走しながら姶良市に入る。カメパを聞きながらで気分も紛れた。残り11キロのところですき屋の牛丼大盛。加治木駅を過ぎて峠を越えて、小野浜トンネルに入るあたりで兄家族からの電話を受ける。両親経由で旅のことを聞いたらしい。なんやかんや話しているうちに隼人。この日は駅前のホテルを予約していた。35キロほど走っているものの足には全くダメージがなく、今回の旅はかなり調子が良いかもしれない。ホテルのお兄さんと少しの間お話しし、近くのスーパー「サンキュー」でお惣菜を買い込む。近くに松屋(まつのや併設)があるのは知っていたが、少し前に牛丼を食べたばかりなので今回はスルーした。

■ 12月29日(隼人~宮崎)

この日の予定は隼人から宮崎市までの90キロで、今回の旅の中では最長区間となる。早くゴールするためには早く出る。 朝4時にスタートした。いきなり道を間違えてしまうものの、すぐに復帰して霧島市街地を抜けて国道10号に合流する。このままでも宮崎市には行けるが途中の迂回箇所で距離が大幅に延びてしまうため、林道を突っ切ることにした。が、1つ目の林道は通行止め。その先のも通行止め。そういえば昨年の豪雨で霧島は大きな被害を受けたと聞いている。林道の復旧が後回しになっているのだろう。とはいえ10号に戻るのは面倒くさい。覚悟を決めて通行止めの赤ポールを越えた。はじめは緊張したものの、ちゃんと舗装もされているし車がいない分歩きやすい。しばらくは大きな石がごろついているだけで全く問題はないと思い進んでいると、遂に本格的な崩落個所が表れた。道が完全にない場所もあり、途端に登山の様相を呈し始める。とはいえ、踏み跡もちゃんとあるし、さらに進むと重機の跡も表れた。一安心したタイミングでちょっと道を間違うものの、それでも夜明け前には10号線に復帰した。ショートカット成功だ。

ここからの10号は産業道路区間でトラックがバンバン走っている。牧之原まで歩道が無い区間だったが、車線が広めに取られていたので助かった。道の駅すえよしはオープン直前で大行列だった。ここはランチバイキングが有名だと聞いているが、有名どころはどこも混雑で近寄り難い。トイレだけ借りて先に進む。都城では昨日控えた松屋のカルビ丼を堪能。すぐ近くにはエニタイムもあり、シャワーを浴びてリフレッシュした。ここからが後半戦だ。しばらくの間続く県道区間は小矢部〜富山間の区間になんとなく似ていた。遠くに見える白い山頂は霧島高原だろうか。白い噴煙が上がっているように見える。

都城から先は国道269号を辿る。山之口から再び峠越え区間は上り基調だがベタ足でそれなりに走れる。歩道もあってなかなか快適な区間だった。途中の道の山之口の道の駅では国道シールを発見し購入。ふとレジ横を見ると椎茸メンチカツなるとても美味しそうなものを見つけたものの、つい購入しそびれてしまったのが心残りだ。持参した2Lの水がここで切れたため、500mlを補給。今回1.5Lのハイドレーションを装備してきたが、吊下げ用のツメが折れてしまい使いづらい。これからRush30を背負う時は2.0Lのものを使うようにしよう。

普段は仕事中に聞いているGOGOMONZをフルで満喫しているうちに田野を過ぎ、宮崎市街地に突入した。夜間行動に登山区間、昼食を店内で取った上にシャワー休憩まであったにもかかわらず、平均ペースがキロ9分切りという(個人的には)凄まじいペースだ。ホテルから少し先に269号の終点があるものの、まずはこのペースを記録として残したい。大淀川から必死のスパートをかけてホテルに向かい、時計を止めた。結果はキロ8分57秒。大満足だ。その後チェックイン、スーパーで買い出し、269と10号線の合流地点(特に標識とかは無かった)を見てホテルに戻る。スーパーで買ったのは、チキン南蛮弁当、オリジナル惣菜のにら入り玉子焼き、九州工場発のウインナー「薫の詩」(レンチン調理)、大阿蘇プレミアムプリンと、九州三昧。そして何より、ひむか工房の宮崎名物赤鶏炭火焼チルドパックが目茶苦茶美味しかった。

■ 12月30日(宮崎〜延岡)

3日目も88キロ予定の長距離区間で夜明け前スタートだ。暗いうちにお参りするのは迷惑だろうし、宮崎神宮は華麗にスルー。とにかくひたすら前を目指す。今回の旅で最大のテーマは九州一周。このインパクトが大きい分、あまり事前知識を得られていない。宮崎神宮も神武天皇の出身地くらいしか調べていなくて、神代時代の歴史(特に人)にはあまり興味を持てない。というか資料が少ないのだ。

高鍋手前ですき家を発見。朝にあまり食べていないためここで栄養補給することにした。すき家と言えば最近の流行りはカレーだ。牛丼のような胃もたれ感がない上、並盛でも満足感が大きい。「人が少なくって〜」が口癖っぽい可愛い笑顔の店員さん。確かにこの辺りは農地ばかりで人も集まりにくいだろう。九州では水辺を意味する「牟田」の付く遺跡があることから想像していたことではあったが、この辺りも干拓地だったようだ。熊本の八代やみやまなど西側の干拓は有名ではあるが、東側にもこうして干拓事業は行われている。九州は本来は山岳の地形だったのかもしれない。そんな中でも都農は海に近いながらも古くからある集落で、神社もかなりでかい。軽くお参りをしに寄った。これまでいろんな神社のお札を頂いていたが、今年に入ってそのブームが過ぎてしまったようで食指が全然伸びない。モノへの興味がより一層薄くなったように思う。(コレクションするものでもないが)

10キロほど進むと美々津地区。ここもまた神武さん所縁の地であり、景観地区としても登録されている。観光者向けの駐車場には綺麗なトイレで顔を洗わせて貰う。その後、真冬にも関わらず賑わう海岸を右手に眺めながら走る。途中、キャリアーバッグ装備の自転車とすれ違う。この人も長距離の旅なんだろう。そう思いながら海区間を抜けて日向市に入るまでに、なんと3人くらいのチャリダーを見かけた。うち1人はなんと女性だし、最後にすれ違った自転車の後部には看板まで付いていた。「日本一周中」とか書いてあったのだろうか。ふとザックのサイドポケットに手を伸ばし、いつの間にか手ぬぐいが無くなっていることに気付く。美々津のトイレで落としたのだろう。残念だが諦めるしかなかった。

日向市内から延岡までは20キロ強。体力をつけねばとこの日2度目のすき家に入り、調子に乗ってカレー大盛りにしたところ、思った以上に腹にたまって走れなくなってしまう。ここから延岡に着くまでの記憶が全くない。日暮れ後の産業道路で目ぼしいものがなかったのだろう。唯一、チキン南蛮発祥の店として知られる「おぐら」の写真だけが残っていた。ホテルの数キロ手前でトンカツでも食べようと思っていたが、お店が混んでいたのでパスし、近くのイオンでお惣菜を買った。親鳥の炭火焼きパックを買うも、パウチに比べるとコリコリ感が物足りない。この日のホテルは大浴場付で、体の疲れをゆっくり癒やした。両太ももにダメージはほとんど無いものの、左足ふくらはぎと右足アキレス腱上の筋肉痛がひどくなっている。特に右足は走りに影響するような痛みで、念入りにマッサージを施した。

■ 12月31日(延岡〜津久見)

朝食バイキングには終始私しかいなかった。この日のコースはほぼ山岳のヤマ場区間。少しでも早く出発したい。延岡と言えば旭化成誕生の地。旭化成の元には水俣病で名のしれたチッソがあることを今回の旅で初めて知った。そんな旭化成も事業再編成を進めており、企業城下町たる延岡にもきっと激震が走っているのだろう。まぁどうでもいいけど。

市街地から10キロほど進むと山岳区間への入り口になり、しばらく北川に沿って走る。少し先の道の駅で補給を考えていたけれど、インター出口に位置していて道がとても入り組んでいる。歩行者は下の町道に降ろされてしまい結局寄ることができなかった。この先民家もポツポツとしかなく、ただひたすら山道を進むだけのの味気ない区間。すれ違う車はドライブ目的ばかりで運転は荒めではあるが、数は少ない分気は楽だ。前日から引きずっている右足の筋肉痛が上りの走りを妨げる。2日目に頑張りすぎたのが原因なのは想像に難くないが、その一点を除けば余力たっぷりな分フラストレーションは溜まる。カーフレイズはこの1年で死ぬほどやったつもりだが、どうすればもっと強靭にできるのだろうか。今後の課題だ。

延岡から佐伯に抜ける山岳区間は「宗太郎越え」と呼ばれ、昔も今も難所として知られる。昔は険しい山越えの区間として。そして今日では、上下で計3本しか普通電車が停まらない区間として鉄ちゃんの間では有名らしいのである。そのせいか、宗太郎駅にも重岡駅にも電車は来ないにも関わらず写真を撮っている人やお弁当を食べている人が居た。そんな区間だからコンビニなどあるはずもないが、飲み物の自販機はそれなりに設置されていたし、前日のイオンで食料を結構買い溜めていたので食事に困ることは無かった。フランソワの菓子パンを中心に、ブルボンのスローバーに新テイストが出ていたのを見つけ買っていたり、ちまちま食べながら前に進む。とにかくひたすら無心で歩く途中で大分県に入った。

延岡に重岡、上岡。この辺りは『岡』と名の付く地名が多い。そういえば福岡もそうだ。その一方で高鍋周辺や八代のような広大な干拓地もまた九州の印象として強い。よくよく考えれば干拓地は人工的なものなので、岡と津で構成される風景こそが本来の九州なのだろう。

市街地の広がる上岡に出たのは16時40分。宗太郎越えに10時間近くかかったことになる。しかし、この日の山越えはこれだけでは無い。上岡から津久見までの16キロもまた山越え区間なのだ。気を引き締める。真っ暗な中、当然歩道はない。Rajikoを聴きながらだと時間が早く進むような気がする。その間も歩き続けているから、いつの間にかそれなりに距離を稼げているのが嬉しい。ようやく歩道が表れたところで、歩道に柑橘類の実が落ちているのを見つけた。九州ではそこかしこに柑橘類が実っている。木に実っているのを採るのはマズいと思うが、公道上に落ちているのはセーフだと思い一つ拾う。いや、落ちているものを拾って食べるのは社会人としてどうかとも思うが、峠を超えた安堵もあったのだろう。固い皮を剥いて食べてみる。かなり酸っぱいのを想像していたが、これがなかなか美味い。薄皮ごと食べられることに気付くと、一玉はすぐになくなった。もっと持ってくれば良かった。以降いろんなところでこの果実は見かけたものの、結局これはなんという種類だったのだろうか・・・。未だ疑問である。

この日は大晦日。スーパーは閉まっているだろうとコンビニでお弁当と大盛カップ焼きそばを買いホテルに向かったところ、隣のスーパーが普通に営業している。何か買わねばと入り、炭火焼きパウチ大盛りと翌日の補給食を買う。いくら美味いとはいえあまりの量が多すぎて、寝て起きて食べ寝て起きて食べを繰り返す。それでも美味いから困ってしまう。結局食べすぎてお腹いっぱいだ。

■ 1月1日(津久見〜佐賀関~別府)

朝食を食べて外がまだ暗い中チェックアウト。ホテルを出るなり風がとても強くて、そういえば寒波が到来しているらしい。堪らず上に保温着を羽織る。津久見と言えば石灰石の国内最大の産地。何処か山奥のほうでやっているのかと思ったら、すぐ町外れに大きな鉱山があるのを見つけた。武甲山で見たような露天掘りではあるが、その規模感はやはり日本一と言われるだけはある。

峠を一つ越えると「石仏の街」臼杵。ここは今回とても楽しみにしていたところだ。「水曜どうでしょう」でお馴染みの地ということもあるが、それよりも昨年熊本で見かけた石敢當のビッグサイズがあるらしいのだ。ちょうど美観地区の中央にあることもあり、街並みを楽しみながら向かう。熊本のそれは併合した奄美経由で広がったと言われるが、臼杵の石敢當は本場である明の国から直接伝道したものらしい。もう1つは楽しみだったのは、九州醤油の有名ブランド「フンドーキン」。石川のスーパーで見つけた『ゴールデン紫』が美味しくて製造元を調べて繋がった縁だ。出立数日前のことで殆ど事前調査はしていないけれど、Webサイトに載っていた川沿いの大きな工場を見つけてしばし眺めた。

臼杵の市街地を出てすぐのところ、ふと大きな看板が目に留まった。それは中央に交通安全を呼びかけるイラストを中央に置き、企業広告が周囲を取り囲む構成のもの。きっと誰もあまり気にすることの無いこの看板を大分県で見つけたことに私はとても驚いた。なぜならばこの看板、以前の四国一周の旅で愛媛県で見かけたものだったからだ。当時、高知県から愛媛まで歩いて見かけたのは愛媛県内のみ。愛媛県独自の何かがあるのだろうと思っていたが、まさか九州で見かけることになるとは。よくよく考えれば愛媛県と大分県はフェリーでは繋がっている。豊後水道・伊予灘を内海とした文化がもしかして育まれていたら。私はこれを伊予豊後あらいずみ文化と名付けることにした。ちなみにその後、大分県内で3回ほどこの看板は現れ、福岡県入りして以降見かけることは無くなった。

臼杵を過ぎるとしばらく海沿いの道が続く。ここでは10号線を離れて佐賀関に向かうプランを立てた。海沿いの綺麗な景観と駅伝を楽しみながら進む。右足は回復基調にあるものの、とにかくずっと向かい風。からっ風が止んで新記録連発のグンマーとは大きな違いだ。対岸にうっすら見える陸地が四国か佐田岬かと思いきや実は臼杵方向だったり、とにかくこの辺りは瀬戸内海らしい入り組んだ海岸線と穏やかな海、屹立する小島が印象的だった。もともとは佐賀関の集落にある神社に寄ろうと思っていたのだが、先日の大火のことを考えると余所者が気軽に近づくべきでは無い。小高い丘の上を通る国道に乗って街を見下ろす。ぱっと見テレビで見たような光景ではなくて少しホッとした。

佐賀関から先、10号に沿って続く鉄道の線路跡を進む。車道から少し高いで海沿いの街並みを見下す景色は久比岐の自転車道にそっくりだ。違うのは道沿いに柑橘類が豊かに実っているこだ。ニューイヤー駅伝が決着したあたりで10号線を離れ、海に近い県道22号を進む。これまた埋め立てて出来た産業道路感満載で、道は綺麗だが味気ない。朝から続く向かい風にさらされ続けたせいか、思考の整理がうまく出来ない。何故か途中で内陸の道に付け替えてしまい、2キロ程度の余計な距離が追加されてしまった。ちょっと良かった点は、付け替えた先の道が大分の城址公園前を通過する道だったこと。ほんの少しだけど大分市らしい観光地に触れ、別府までの残り10キロを急ぐ。ここから先は海沿いの広い歩道が続く。そういえば別府大分マラソンは有名だったっけ。ひどい風の中、練習に励むランナーが大勢いた。

別府の街には8つの源泉があり、そこかしこに大小様々な入浴施設があるのを事前に調べていた。取引先から紹介された松瓦温泉なんかとても立派な佇まいで、ただ実際のところ、あまりに疲れていて、お腹も減っていて、とにかく眠くて、温泉を楽しむ余裕なんか全然残っていなかった。駅前のAZに入り、シャワーを浴びたらすぐに夕食バイキング。そのままバタッと眠りについた。寝入りは早いものの3時間程度で目が覚めてしまう。今回の旅は毎晩そんな感じで慢性的な睡眠不足だ。

■ 1月2日(別府〜築上)

エレベータのポスターで高知県の須崎と愛媛県愛南町に今年AZがオープンしたのをもう少し早ければお世話になっていたのに、と思う。朝食バイキングは相当混み合っていて、時間が勿体なくてスルーした。この日の予定は80キロオーバーで大きな峠越えも有る。ゆっくりはしていられない。通りかかった別府駅で手湯を見つける。ちょっと手を浸してインスタントな名物巡り達成。途中見つけたマックスバリュで鳥飯おにぎりを購入し、朝ご飯に食べると激ウマ。鳥飯そのものの味はもちろん、ふんわりした握りが生み出すホロホロ感がたまらない。ついでに買ったのがRYOYUのチーズデンマーク。去年見つけたやつだ。上人ヶ浜を過ぎたあたりから雪がちらつき始めた。まぁこの程度ならと思っているうちに雪の粒は大きくなり、道路に着雪し始めた。念のためこの日の勝負服には長ズボンを履いていて、更に上からお馴染みのコロンビアポンチョを羽織った。思えばこいつは東海道の旅からずっと長距離のお供をしてくれている、大切な旅のお守りだ。風を止めてくれる分寒さはあまり感じることなく、峠手前の日出町にたどり着いた。

この先ハーモニーランドから峠越えが始まる。ちょうど風も雪も収まっていたのでポンチョを脱いだとき、それまで聴こえていた箱根駅伝のラジオがぴたっと止まった。なにが起こったのか気づかず少し進んだところで、両耳のイヤホンが外れてしまったことに気付いた。焦って探すと左耳分はポンチョの中に絡まっていた、が、右耳のが見つからない。一旦足を止めて来た道を戻る。ほんの10メートルくらいの間なのに、全然見つけることが出来ない。10分ほど粘っても見つからない。行ったり来たりしているうちに落とした区間さえ曖昧になってくる。そうしているうちに再び雪が振り始める。奇しくもイヤホンの色は白で、路傍のゴミや雪と同じ色合い。先の道のことを考えて、泣く泣く諦めることにした。もしかしてリュックの何処かに紛れ込んだかもという期待もあった。けれど、100メートルほど離れたときにスマホアプリで接続が切れたのを確認し、その希望も消えた。

吹っ切れた分走りに力が入る。が、低気圧のほうも本格的に迫ってきたようで、風と雪の激しさが増していく。今回帽子をハット型のものにしていた。縁にはワイヤーが入っていていろいろ形を変えられるのだが、あまりに風が強いとすぐにめくれて顔に雪が当たってしまう。それだけならいいのだが、眼鏡に乗った雪が解けずに積もり、視界を遮ってくるのには困った。とにかく心を無にして乗り切る。立石駅の辺りで最高地点を迎え、そこから先は下り道。100メートル程度とは言え下るうちに雪は弱まり、宇佐の標識をみた辺りで青空に変わった。

宇佐神宮は寄りたいポイントの一つではあったものの、ちょっと距離が伸びてしまうため諦めて、ホテルまでの最短ルートを取ることにした。やはり海沿いの、たぶんここも干拓地じゃないだろうか、ただただ真っすぐの農道を突き進む。この区間が本当にきつかった。雪は止んだものの風はより一層強く吹き荒れ、それもここ数日ずっと向かい風。峠越えで補給食は底をついたもののコンビニが見つからない。ようやく見つけてパンを買うが、風が強くて手を出すと寒い。ひたすら試練、試練、試練だ。rajikoで先週のヒッツを流しながら、今回何度目か分からない虚無モードで進む。ようやく農道区間を抜けるが中津市街地には向かわず県道663号に入る。これが最短距離というのもあるが、細い道にも関わらず10キロ近く先まで伸びているのがとても気になった。進むうちに表れたのが薦神社。宇佐神宮の大元にあたる由緒あるところらしい。さらに進むと碁盤目の調整地。なんとなくそうかと思っていたけれど、昔の街道がこの道だったのだろう。

山国川を越えてようやく国道10号に合流。道の駅でレッドブルを補給しラストスパートに入る。しばらく細めの道ばかりだったので、大きい道は走りやすい。何より明かりが多いので気分的に安心する。そんな10号は築上町を避けるようにバイパス化しておりまた旧道に入る。ホテルに着いたのは夜8時。満身創痍だ。駐車場に車はあまり無く、別府と違ってあまり人は入っていなさそう。夕食バイキングは終始私1人で、それなのにおかずをてんこ盛りにしてくれているAZ築上に感謝感謝。もう入らないというまで食べて、歯を磨く余裕も無くベッドに横になってそのまま眠った。いつも通り0時に目が覚めて、ちょうど流れていたどうでしょうをテレビで見て、どうせ無駄に時間を過ごすなら、と2度目の洗濯をした。

■ 1月3日(築上〜小倉〜門司港)

目が覚めたのは6時半。この日は急ぐ必要がないから荷物は部屋に置いたまま朝食会場に向かう。朝食もまたほとんど人が居なくて、ゆっくり食べて、また部屋に戻って、腹がこなれるまでしばらくゴロゴロしていた。最終日の行程はおよそ45キロで、当初の予定よりも20キロほど短くなっていた。もともとは門司の半島を反時計回りで歩き、門司港近くの老松公園前交差点を踏んでから、3号線の未踏区間を辿って小倉に行く計画(門司港→小倉)だった。しかし、よくよく調べると10号線の終点もまた老松公園前交差点で、小倉から先は3号線との共用区間とのこと。そういえば鹿児島からずっと続いていたキロポストも「門司までxxキロ」という表記だった。であれば10号線を忠実に辿って老松公園前を旅のゴールにする小倉→門司港ルートのほうがこの旅に相応しいのだ。まぁ、半島右手にあまり面白みが無いというのもある。

ここ数日の荒天から打って変わって風は大人しく、曇り空で日差しも強くない。右足の痛みはだいぶ回復していて、これまで発揮できなかった走力がようやく生かせるようになっていた。築上からはずっと産業道路か市街地区間で走りやすく、小倉南に入るまでキロ8分前半の驚異的なペースで走る。走力、というか持久力はこの1年でかなり成長したと思う。大腿筋辺りは旅を通して辛くなったことは全く無かった。体幹もかなり頑張ってくれた。臀部は最後の方は消耗しきっていたけれど、それでも平地ではまだまだ力を出すことが出来た。左足のふくらはぎが筋肉痛になったのは右のアキレス腱をかばっていたからで仕方がない。右のヒラメ筋下部の弱さだけが今回目立つ形になったが、逆に言えばここさえ鍛えて行けばもっともっと強くなれるということだ。右アキレス腱炎は延岡以降全く感じていない。とんでも無いダメージを受けた後に起きる超々回復だ。数日後とうなっているか不安ではあるが。

小倉北区三萩野で10号線は3号に合流する。ここからは昨年の宿題区間だ。依然8分台をキープしていたものの、途中からどうでもよくなって歩き始める。門司駅近くのエニタイムでシャワーを浴びてストレッチをしてからは完全に観光気分になり、徐々に近づく関門海峡の写真を撮りながら、この後何をしようか考える。マッサージを受けたいと思うけど予約が取りづらい。というかリフレクソロジー系ばっかりでガチのスポーツ痛解消を謳っているところが全然見つからない。そういえばまだ北九州のうどんを食べていない。けど、エニタイム横のスーパーでおにぎりを食べてしまい食べるタイミングを逸してしまった。うまくハマらないなーなんて思いながら門司港の前を過ぎ、ゴールの老松公園前交差点にたどり着いた。

この交差点に来たのは西国街道(国道2号)の旅の時だから3年振りとなる。当時は体が痛すぎて殆ど見ることが出来なかった分、今回は三叉路をぐるっと回り何かモニュメント的なものがないか探してみる。結局そこには何もなくて、その後老松公園に入り、やはりここにも無いことを確かめて、少しベンチで体を休めた。思い返せばスタートの護国神社前もまた3号との合流地点だった。3号と10号はまさに対となって九州を取り囲む幹線道路であることを強く実感した。そしてこの時、その両端を繋いだことで、九州一周の旅の完遂を迎えることになった。感動や達成感がそれほどあるわけではなく、肌寒さと乾燥と衣擦れでひび割れ始めた足の肌が痛くて、どうにかして紛らわしたいと思っていた。ただ、終わるのはちょっと寂しい。

その後、門司港レトロを散策し、お土産にシールなんか買ったりして。小倉駅には電車で戻り、晩御飯は駅前の天ぷら『ふじしま』。結構有名店らしいがあまりにせわしない雰囲気で、ちゃんと味わうことなくちゃちゃっと食べて出てしまった。一泊したスーパーホテルは、偶然昨年歩いた道中だった。ゆっくり休んだ翌日は新幹線まで時間があったので小倉城も見ることができた。旅の途中は無心状態が多かった分、ここではちゃんと観光が出来た。1週間の旅を経て何より一番嬉しかったのが、自分のアパートに戻ってきた時だった。

■ 九州の食

九州といえば独自の菓子パン文化。フランソワとRYOYU、池田パンの三つ巴スパイラルにはここ2年楽しませてもらった。池田パンは鹿児島を中心としていて、宮崎県を歩く中で運搬トラックを見ない日は無かった。その一方で鹿児島県牧之原のセブンで見つけた三角あげパンのみ。あまり食で触れる機会は多くは無かった。一方で存在感を示したのがフランソワだ。昨年の旅でその美味しさはお墨付き。今回何度もお世話になったのが8個入りのプチクリームだ。フランソワらしい甘みで食べやすいパンは行動食としてピッタリ。さらに別府のマックスバリュでごろっとお豆のあんバターを見つけた時は小躍りしたい気分だった。RYOYUは北上するにつれて目につくようになり、お馴染みチーズデンマークに加え、今回新たに見つけたマンハッタンの美味さに惚れてしまった。その後石川に戻って山崎パンで探したけれど、マンハッタンの硬めなざっくり食感には敵わない。

鶏もまた美味い。ひむか工房の赤鶏炭火焼は歯ごたえが良く値段もお手頃。その後石川県のスーパーでも探したけれど全然見つけられていなくて、通販だと相当お高くなってしまう。

投稿者 DiSpa.