■ 前夜

 飛行機は11時半発なのに、9時には家を出てしまった。公共交通機関を使っても1時間で着いてしまうというのに流石に早すぎる。朝四時には目が覚めてしまい、家に居続けるのが辛くなってしまったからだ。なんやかんやで新幹線に乗ってしまったほうが楽だったのかもしれない。電車とバスの乗継は面倒だし、羽田に降りてからの足も長い。何故行きを飛行機にしたんだっけ? バスの待合ベンチでしばらく考えて、空から富士山を見たかったから、ということを思い出した。折角の旅なのだから伝説の追体験をしてみよう。羽田に向かう飛行機の上から指で道を辿ってみたかったのだ。早く来た分良いこともある。自動運転のバスに初めて乗ることが出来た。

 手荷物を預けるのは久し振りだ。電子機器は肩掛けバッグにゴチャッと詰め込み出発ロビーへ。持込制限の表示が目に入る。モバイルバッテリーは2個まで。これってneo9rのバッテリーもカウントされちゃうのか?ドキドキしながら検査を通った。セーフ。。。これから1時間半の待機時間。大したことはない。明日の6時間に比べれば。

 5分遅れで離陸した飛行機。私の席は後方左の窓際。翼と山岳を同時に収められるベストスポットで、日中のフライトではだいたいこの位置を狙う。残雪の白山を背に南下し、いつもならば長良川河口あたりで太平洋に抜け東に舵を切るルートのはずだが、今回はなぜか愛知の山の中で方向を変えてしまう。もくもくと敷き詰められた雲の絨毯で外界は全く見えなくなり、ふと気づけば遠くにちょこんと、雨後に頭を出した竹の子のような富士山があった。コースは全く見えなかった。大丈夫。明日は「絶好のコンディション」なんだから。結局羽田に着くまで、雲が途切れることはなかった。

 そういえば先週夢を見た。レースの最中にかなりへばってしまい同僚の家で休んでいた時、残り6時間で30キロだと知る。どだいやる気になって家を出ようとしたところ、ここの関門時間は過ぎているのでもう進めないと宣言される夢。あまりの恐怖で飛び起きて、それが夢だったと知り、気持ちを落ち着けるためにランニングに出た。あんな思いはぜったいに嫌だ。川崎でお昼を食べて、JRに乗り換えて富士に向かう。鈍行とはいえ新幹線とそんなに時間は変わらず、東海道線は駅の間隔が広いからかもしれない。熱海で一旦改札を通って入り直す。Suicaはなかなか不便なところもある。SuicaというかJR縦割り問題というか。

 「いただきへの、始まり 富士市」。
 到着したのは17時半頃で、ここから新富士駅まで2キロを歩く。途中に宿泊予定の東横インのバスを見かけて、もしかして乗せてもらえたのかもしれない。新富士駅ではツアー申込者限定の前日受付が行われていて、18時の時点でそこそこの行列が出来ていた。並ぶ顔ぶれは猛者ばかり。そりゃそうだ。でもwave2の私は少なくとも半分より上の実力と評価されたわけで、胸を張っていこうと心に決めた。さらっと受け付けを済ませてすぐ正面の東横に入った。駅前で珍しいマンホールを見つけた。

 部屋に荷物を下ろしたらすぐスーパーへ買い出しに向かう。今日の晩ごはん、明日の水に昼食のパン。、デポ用の大福餅。シャワーを浴びてご飯(かつ丼、油淋鶏、フライドポテト)を食べて、荷物の整理なんかをしていたら21時を過ぎていた。一度眠りについたものの、2時前に目が覚めてしまい、夜明まで半覚醒の状態が続いた。心臓の鼓動が響くのを感じた。緊張してるんだろう。どうせお昼寝時間はたっぷりあるんだし、別にいいかと気楽に構える。目が覚める度に電子機器の充電を切り替えた。スマホx2、ライトx2、ライト電池、モバイルバッテリー、イヤホン。二口分しかアダプタを持ってこなかったのはちょっと失敗だったかも。

■ 号砲

 朝シャワーを浴びて着替え、朝食会場へ。似たような格好の戦士たち。大勢の外国人観光客。これから出勤なのだろうビジネスマン。仕事用のスマホは持って来てはいるものの、朝にはもう電源を落としてしまった。もうどうでもいいや。富士宮焼きそばが美味しくておかわりをするが、それだけでもうお腹いっぱい。普段ならフルコース2回転くらいしてるのに。それにしてもここ一ヶ月で相当少食になった。プランクやら腹筋ローラーやらをやりすぎた影響だろう。消化能力自体は変わっていないと思うので、固形食中心の補給に変更はない。部屋に戻ってパッキングの最後の仕上げ。折角買った能登の塩、一袋しか持ってきていないことに気付く。窓から見る空は一面の曇り空で、今日明日に限ってはそれはとてもいい天気。「絶好のコンディション」だ。9時半に部屋を出る。忘れ物が無いか最終確認で部屋に戻ろうとしたところ、カードが反応しなくて部屋に入れなくなった。まぁいっか。

 駅北口で乗り込んだツアーバスは20キロ弱の道のりをちょうど予定の1時間で私たちを運んだ。時間取り過ぎかと思いきや、市内の渋滞が酷くて全然進まず、これはこれで適正な時間設定のようだ。マラソン大会ならありがちな興奮して騒ぐ乗客はいない。これからの戦いに備えて静かに目を閉じている。

 こどもの国。バスから降りると少し高台の草原にベースキャンプ地を定めた。マットを敷いてシュラフを広げただけではあるが、少し湿った土とちらほら見かけるシカのフンが体につけないだけかなりマシな環境にできたと思う。はじめ曇りがちだった空は昼過ぎになると日差しが強くなり100均の目隠しだけだは遮れなくなってきた。あまりの暑さにシュラフは敷物と化し、黒タオルを目隠しにアドオンして体を休めることに努めた。結果から言えばこれが今回の成功にかなり奏功したと思う。

 北麓公園受付組を乗せたバスがやってくるようになると、会場がやおら色めき立つ。六花さんのマイクパフォーマンスで会場の熱気は高まっていく。17時、wave1がスタートした。彼らの出発を見送ってから自身も並ぼうとするとすでに行列はすでにギッシリで、最後尾から出発させてもらうことになった。これはこれで構わない。後半にどれだけ余力を残していけるかがカギなんだ。17時15分。妙に落ち着いたテンションで、100マイルのレースが始まった。

■ レース

 序盤はロードの上りで、早速人がバラけ始める。林道に入ると気持ちのいいスピードのグループを探してついていく。そんなことを繰り返して、ストレスフリーに走れる環境を整えた。スギを伐採中の林道から右手に立派な富士山が見えた。雪は結構解けてはいるものの白い筋はくっきりと残っている。すでに日暮れ時。次は何処で見られるだろうと思った。

 鉄塔区間の渋滞は30分くらいで大したことはなく、スタート時に用意していた1.5Lの水は大半が残っていて、エイドまでの残距離を考えて少し捨てた。オイエナを補給しようとして半分以上をこぼす。一口で胃袋が温かくなる感じがして結構良かったのだが、ネチョネチョになった袋を触るのが億劫で、最終的に北麓のデポで捨ててしまった。

 富士宮エイドでの滞在は10分程度。アミノバイタルをたくさんもらってバナナを食べて、ちょうど空いていたトイレに駆け込む。ちょっとした待ち時間には屈伸をして、足に異常がないかを確かめた。ここから先は本格的な山岳である天子山地が始まる。水切れは絶対避けたくて、フロントに500mlフラスクを2本、ザック内に1Lキャリーの2L体制で臨んだ。

 天子の上りは獅子吼より若干傾斜がきつい気はするけど所詮その程度で、山頂直下の急登だけ頑張れば大した問題ではない。天子、長者、天狗、熊森と繰り返し立ちはだかるピークと、その間にも無名の中ボスがいるような感じで、疲れるというよりうんざりする。22時を過ぎると睡魔との戦いが各地で始まり、つづら折りの折り返しやピーク周辺の平地にちらほらうなだれるようなランナーを見かけた。こちらは開始直前まで寝ていたのでカフェイン不要のイージーモード。ただ、熊森からの下りには難儀した。2日前に降った雨で緩んだ土を先行ランナーが削ってしまい、ドロドロでグリップが効かず、かなりの低速移動になってしまった。1人なら別にいいのだけど、後ろに人がいる分申し訳なくて、何度も何度も順番を譲るうちに上りで稼いだアドバンテージを大きく失った。

 ようやく林道に降りるとしばらくロード区間。ここでは片道イヤホンで音楽を聴きながら、キロ7分程度で下っていく。他の人は結構早くて追い抜かれるのだが、彼らは足を残せているのだろうか。麓エイドで焼きそば。覚悟はしてたが1人1個までで物足りない。バナナやアミノバイタルで腹を誤魔化した。思い返せば、エイドが混雑していたのはここまでだったかもしれない。夜を越えられなかったランナーが次々と振り落とされていったのだろう。

 次の区間で待ち受けるのは竜ヶ岳。晴れていれば富士山の絶景だという。上りに入ったのは3時ごろ。私も流石に眠くなる。視野が定まらずふらつき始めたので、1週間抜いたカフェインを錠剤で投入した。効果はてきめんで、1時間ほどですきっと目が覚めた。ガスに包まれた笹茂る林道は山中温泉の大日岳を彷彿とさせる。山頂に至ってもそのガスは晴れず、噂に聞きし絶景を見れないまま下りに入った。上りは眠気に悩まされた分、逆に言えば体力は温存できている。軽快なペースで下っていく。危険個所も少なくてかなり走りやすい道だ。道が脆いと言われていたが危険性とはまた別に意味なのだろう。調子に乗ってかなりスピードを上げ、前を追い抜いていく。精進湖沿いの遊歩道は早朝の爽やかな空気も相まってかなり気分が良い。前半抑えめが計画のキモではあったものの、この軽快感をスポイルさせてしまうのは実に勿体ない。この先どうなるかも分からないのだから、押せるうちに押してしまおう。再び片耳イヤホンを再開し、気持ちの良いペースで走る。それは時にキロ5分台に入ることもあり、次々と先行を追い抜いていく。時折心拍だけは確認し、165を越え始めると注意した。その勢いのまま、精進湖のエイドに到着した。心の余裕があったことから、レースを応援してくれている仲間たちにメールする。

 エイドを出ると青木ヶ原樹海に入る。溶岩由来のボコボコした石に木々が生える様子は他にはなく、気分をクールダウンさせる意味も兼ねて色々写真を撮って楽しむ。ここを抜けるとしばらくロードが続く。以前ウルトラマラソン出走った時の記憶が微かに残っている。音楽を聴きながら、低速走行を続けて地味に順位を上げていく。気づけば精進湖エイドを抜けたあたりからwave1のナンバー保持者をよく見かけるようになった。もちろんwave2も多いし、時折物凄い勢いのwave3も見かけた。このあたりITRAポイントでは表現できていない力量なんかもあるのかもしれない。

 富岳氷穴の施設横から足和田山に入る。福井の文殊山をもっと綺麗にしたような、危険性を感じる要素ゼロの快適な道。朗らかな陽気も相まってあまりぺースは上がらずピクニック気分を楽しんでいたが、それでもあまり気を抜けない懸念事項があった。今回の目的は完走第一でマイラー称号を得ることではあるが、奥信濃100での18時間×2=36時間以内のゴールも1つの目標に定めていた。ネットで見つけた計算機で各エイドの目標到達時刻を調べ、これを目安に進捗状況を確認していた。富士宮で作った余裕は麓でなくなり、精進湖でまた少し回復と、今の走り方では予断を許さない状況が続いている。大きな問題は、このままだと仮眠の時間を確保できないのだ。何処で寝るかはその時次第だが、時間の余裕は絶対に必要なのだ。

 足和田山を楽しんだ後は再び暫く続くロード区間。ここをちゃんと走って(もち低速)、北麓のエイド兼デポにたどり着いた。時刻は11時。ペースだけ見れば奥信濃とほぼ同じ感じだ。デポを回収できる体育館前のエイドでコーラを2杯飲み、そのままデポバッグを回収する。今回一番の失敗はお湯を待つ時間が勿体ないと塩大福しか持ってこなかったこと。ここまで菓子パンかバナナ、スローバー、アミノバイタルのような甘いものばかりを口にしていて甘味にだいぶうんざりしていたのだ。実際お湯はふんだんにあり、待ち時間ゼロを頂けたのだが、経験不足が仇になった。背に腹は代えられず大福をつまむが2個が限界だった。代えのシューズはあるもののタグの付け替えが面倒で使わず。せめてマッサージをとリリースガンを当てるものの、それほど疲れているわけでもないので効果を感じられず、50分も滞在して結局電子機器の充電くらいしか役に立つことが出来なかった。これ以上は時間の無駄だとエイドを出る。ちなみにエイドに入る前、すごいスピードの選手を見かけたが、たぶんあれが優勝した選手だったのだと思う。

 次の忍野までは9.4キロと最短区間。水も1Lに減らして気楽に進んでいると後方からとんでもないスピードの選手が次々とやってくる。ASUMI40Kのスタートと時間がかぶってしまったようだ。ロードであれば勝手に追い抜いてくれるので構わないのだが、シングルトラックに入ると余力差が如実に表れてくる。なにせこちらはすでに100キロ走っている身。スタート直後の元気いっぱいグループに紛れるわけがない。エリート層はロードで見送り、一般後半のランナーと一緒に小倉山への上りに入った。100miもそうだがASUMIは更に外国人比率が多い気がする。特にアジア系の若い女の子が目立つ。素敵。彼ら彼女らのペースに合わせていると次第に楽しくなってきて、足さばきが速くなっていく。最終的には彼らを追い抜きはじめ、マイラーを目指す選手の底力を見せつけてやった。ああ、力の無駄遣い。道の駅でその集団からも敢えて離れ(これ以上遊んでられない)、下草山へのつまらない上り。たまに動かした分下りの調子はよく、抑制と発揮のバランス調整は今後の課題だと思った。

 忍野エイドをささっと済ませて全く意識していなかった平尾山の上り。つづら折りのダブルトラックをひたすら上り続けるだけの根気が求められるルートだが、暫く続けた傾斜トレッドミルの効果でスルスル登れる。最後の階段区間を抜けて山頂へ。ここからの下りでKAIだかASUMIだかのトップ層と重なる。道を譲り続けるのも面倒になって、彼らの後ろにつくことにした。確かにとんでもなく速い。けれど後ろで足の置き場を見れば全然ついていけないレベルなんかではなく、なんなら先行に迫ってしまい譲り返されそうになる(もちろん断る)。恐怖を感じない下り道なら自分も強いところがあるんだけど・・・とは思う。

 道の駅きらら。これまで所々で愉快な余裕たっぷりだった旅がここを境に緊張感を纏い始める。時刻は16時で夕暮れの足音が近づいてくる。ここで仮眠しないと十二曲にスペースはない。でも日の出ているうちに少しでも進みたいし、結局時間に余裕は生まれていない。覚悟を決めるしかなかった。水を1.5L確保し、豚汁をお代わりした。ふと目を上げると正面に有名人が普通に座っていた。てか何故wave2に?

 外はだいぶ冷たい風が吹いていて保温着を着込んだものの、走り始めると暑くてすぐに脱いでしまった。きららから始まる富士山パノラマロードはこれまでの景色から一変し、ここが活火山の富士山帯であることを思い知らされる。樹木がほとんど生えていない黒い礫。山中湖を挟んで向かいには富士山がそびえている。風の強さが荒涼感を際立たせ、死地に向かうような冷たさと、それを受け入れざるを得ない諦念感が入り混じっていた。だからこそ余計なことは考えず、ただただ脚を上げ、体を持ち上げることに専念した。

 明神岳のピークを過ぎると長い下りが始まる。黒い粘土質の土は意外にウエットでグリップが効く。急傾斜に見えて結構走れる。前を走るKAIの選手を参考にして駆け下りた。しばらくは順調に思えたものの、ボリュームゾーンに重なってくるとそうも言えなくなる。何度も何度も道を譲りその度にタイムロスが増えていく。そのうちトラックも両サイドが切れ落ちたような危険個所が増えていきスピードダウンに拍車がかかる。石割山の山頂についたころにはだいぶ参ってしまっていて、同じ100mi組と愚痴を交わした。あとは十二曲エイドを目指すのみとなったが細かなピークが繰り返されて着く気配がなく、更に力を奪われる。黒土のシングルトラックは霧が出始めるとほとんどルートが見えず、かなりの苦戦を強いられた。いつの間にかかなり長いトレインが出来上がっていて、なるべく感情を殺して進むようにした。先頭を引いてくれた海外の人。本当に有難う。

 十二曲のエイドはスペースに余裕がなく、ゆっくりできる雰囲気ではない。再び保温着を着て最大の難関と言われる杓子山に取り付いた。序盤から山中を彷彿とさせる傾斜が待ち構えている。上れないわけではないのだが、流石にKAIに合わせられる程ではなく、どうぞどうぞのやり取りで消耗してしまった。流石にメンタルが参ってしまい5分ほど横になる。ライトを消して目を閉じると少しリラックス出来た。心の余裕を回復させるとすぐに岩場区間が始まる。確かに難しいところもあるがホールドは多く、力任せに一気に終えた。少し進んで山頂到着。だが、杓子の狂気は上りではなく実は下りにあった。かなりキツめの傾斜で300~400メートル下る必要があり、上り以上にスピード感のある選手が続いた。これを克服しなければ私にトレランの道は無いと痛感した。

 傷心はその後林道に抜けてからも続いた。走る気力が生まれずとぼとぼ歩き続け、富士吉田エイドに着いた時にはこのレースに参加した意味を見失っていた。やはり一杯しかもらえない吉田うどんを食べて仮眠所に入った。仮眠所と言っても入り口を開けっ放しにしたテントで、外気温3度の中寒くて寝付ける気がしない。仕方なくストレッチをしているとボランティアの方が布団を持ってきてくれた。つい、要りませんと答えてしまった。30時間強行動していても眠気がそこまで強くなかったこともあるかもしれない。36時間以内にゴールする目標が手の届くところに迫っている。けど本音を言えば、この旅を早く終わらせたかった、というのが適切な気がする。きららで摂取してからそれほど時間は経っていないかもしれないが、3つ目のカフェイン剤を飲み霜山に向かった。未明の住宅街では盛大な応援はできない。そんな中でもすれ違う大勢のボランディアやサポーターから頂いた小声の大きな声援は、まどろみの中でも確かに届いていた。電飾きらびやかな門を通り、霜山に入った。

 心はすでに杓子で折れていた。でも、鍛え上げた足は忠実に役割を果たしていた。霜山にテクニカルな要素はなく、ただ600メートルの標高を稼ぐためだけの上りといってもいい。傾斜トレッドミル、500回5セットのカーフレイズ、ブルガリアンスクワット。トレーニングで積み上げられた筋力は気持ちと裏腹に淡々と力を発揮し、次々と先行を捉えていく。その一方で心はぼおっとしたままで、そもそも何故こんな道を歩いているんだろうとか、スタンプカードを持ってきていないとか、そもそもスタンプを押したくて歩いているんじゃないとか、じゃあ何で今歩いているんだとか、この行動がレースの一環であるという実感が何処かに溶けてしまい、筋肉がただ延々と弛緩と収縮を繰り返していた。そしていつの間にか、霜山の山頂を過ぎてしまっていたようだ。

 下りに入ってようやく少し目が覚めて、けれども癖で後ろに人の気配を感じるたびに立ち止まり道を譲る。実際自分のほうが速いときもあったりして、抜き返しそうになるとわざと止まって間を開けて、そのうちに迫ってきた後続にも同じことを繰り返していた。天上山が実質最後のピークとなる。ここを越えて始めて目が覚めて、どうせ誰も覚えてないだろうと腹を括って、少しずつ前を追い抜き始めた。そのうちトラックが終わり、ロードに入るとすぐ東急の遊園地前に出て、旅の終わりが迫っていることを確信した。時刻は4時手前で、時間以内のゴールは間違いない。目標の全てを達成できて、その一方では下りで負け続けた痛みが刺さっていた。もう100マイルはやらないかもしれない。自分には向いていない。だからこそ、最後は有終の美を飾りたいと思った。残り2キロのカードを見て最後の力を振り絞った。走ってゴールするんだ。公園入ると一瞬軽快な脚さばきが戻ってきた。早朝過ぎてほとんど観客はいない。最低限のスタッフと、きっと全員を見届けようとしている六花さんがフィニッシュラインで待ってくれていた。35時間11分8秒。全部を出し切って、最後はありがとうの言葉しか残っていなかった。

 フィニッシャーベストをもらい計測タグを外すと正気が戻ってきて、とりあえず荷物を回収し、体育館二階の仮眠所に向かった。こどもの国以来のシュラフを広げていると、各方面から完走お祝いの連絡が届き始めた。時刻は朝4時半。こんな時間に見てくれている人がいることが素直に有難かった。その一人である兄が山梨まで迎えに来てくれて、静岡の家で世話になり、風呂に入ると一瞬で記憶が飛んだ。帰りの電車はこの記録を纏めていたおかげで寝過ごすことはなく、ビビッドな記憶をなるべくそのまま此処に残すことが出来たように思う。

■ 振り返り

 35時間11分8秒。記録だけで言えば大成功といって間違いない成績だ。その要因はさっと思い当たるだけでも

  • 地味な筋トレの成果(足回りと腹筋)
  • 直前まで目を閉じて休めていたこと
  • 少し寒いか少なくとも暑くはない気温と曇り空
  • 炭水化物の摂取の少なさは睡魔を抑えた説
  • 謎ロジックのfuji100計算機の精度の高さ
  • レース参加を大っぴらにしたため後戻りできなくなったこと

なんかが挙げられる。一方の失敗と言えば、無駄な荷物が多かったこと。ウエストベルトは途中で使わなくなったし、エナジーバーも半分以上余ってしまった。その失敗は逆に、多少の重量増があってもパフォーマンスに大した影響は出ないことの教訓を生むことにもなった。そして何より、下りの弱さが致命傷レベルであることを思い知ることになった。6月のKagaSpaEnduranceは本当に出場を迷っている。あと2カ月で下りを克服できなければ、先は無い。

投稿者 DiSpa.